2025/11/2-11/8
11月2日(日)
二度寝して9:30起床。曇り晴れ。
ほぼ家にいたはず。
24:00寝る。
11月3日(月祝)
7:00に目覚めたが二度寝して8:30起床。晴れ。
最近スッと起きれず結果寝過ぎ。
木枯らし一号。
「言語化するための小説思考」(小川哲)読了。
作品を届けたい相手に対して、「過不足なく伝わるように(なるべく正確に)」、「無駄な時間を取らせないように(なるべく端的に)」、そして可能であれば「相手が自分に対して一切興味がないという前提で(なるべく相手のことを考えて)」、自分の話をする――というのが、「自分の言葉」と「自分のやり方」を見つけるための一つの手段になると思う。知識をひけらかしたり、(明確な意図なく)難しい表現を使ったり、他人にとって無価値なこだわりを貫いたり、必要以上に時系列を操作したり、メタ構造を多用したり、自らの主張を前面に出したり――つまり、「この人の話は難解だな、退屈だな、不愉快だな」という不快感を他者が抱く要因になり得ることには、十分に気をつけなければならない。
「十分に気をつけなければならない」と書いたのは、決して「ダメだ」というわけではないからだ。ダメな小説とは、「つまらない」小説のことで、難解な小説や退屈な小説や不愉快な小説が「つまらない」とは限らない。難解さや退屈さや不愉快さを「つまらない」と結びつける読者は僕が思っていた以上に多いけれど、とはいえそう考えない人もいて、そういった人々に作品を届けたいという意図があるのならば、難解さや退屈さや不愉快さを恐れる必要はない。大事なのは「誰に届けたいか」、つまり「誰に話を聞いてほしいのか」を意識して、その「誰か」に正確に届くためのやり方を模索することだと思う。
武蔵野館で映画『ナイトコール』鑑賞。
TLで好評だったベルギーのサスペンス映画。
たしかに97分の尺の中で、冒頭から展開のアイディアが詰まっていた。
自分の好きな「一夜もの」でもある。
22:00からさよなら人生リモート打合せして寝る。
11月4日(火)
久しぶりに自主缶詰でホテル泊。
ジュンク堂で「ガールズ・アット・ジ・エッジ」(犬怪寅日子)購入。
あとは大浴場と、近くのやきとんを満喫して終わってしまった。
11月5日(水)
今日もホテル泊だがパッとせず。
109シネマズで映画『8番出口』鑑賞。
11月6日(木)
今日もホテルを起点にうろうろしただけで、TASKは進展せず。
久しぶりに海を見た。
11月7日(金)
8:00起床。晴れ。
最近また、十年以上前の人間関係にまつわる夢をみて起きた瞬間に絶望的な気分になることが多い。
恐らく心身の何らかの疲れや不調が原因なのだろうが、悪夢にしろ内容はいい加減変えて欲しい。
「まっとうな人生」(絲山秋子)読了。
人間は自然をなめている。
でもそうすることでしか、暮らせない。
【中略】
自然現象でなくても、友達や他人のつらい事件に思いを寄せることはある。そのときは心配して涙を流したりしても、三日も経てば思いは薄れ、そのうちに忘れてしまう。
忘れてしまったからといって、それが嘘だったわけではない。
そうすることでしか、暮らせないのだ。
災いというのはそういうものだ。当事者だけは忘れられない。初めてのときはその場を生き抜くのに必死だけれど、また似たようなことが起きれば、僅かな兆候だけで気持ちは張り詰めて、絶望や混乱を思い出してしまう。傷つき直すことだってあるだろう。
だから祈るのかもしれない。
人間はあまりにも小さくて、弱い。
南無阿弥陀仏と唱えるのは、そういうことかもしれないと思った。不信心なあたしはこんなこともすぐに忘れてしまうのだろうけれど。
AppleTVで始まったドラマ「Pluribus」最初の2話を見る。
「Breaking Bad」「Better Call Saul」という歴史に残る犯罪ドラマ=アルバカーキ・サーガを作ったヴィンス・ギリガンの新作となると、当然同じジャンルかと期待したが、
全然違って、敢えて言うなら終末SFスリラー?
正直、最初は「え、最近よくある奴……?」と思ってしまった。
既に世界中で絶賛されているようだが、もう少し見ないと自分には判断できない。
そしてまた気づけば寝落ちしていた。
11月8日(土)
9:30起床。曇り。
アマプラでレンタルして映画『テルマがゆく! 93歳のやさしいリベンジ』鑑賞。
自主缶詰もしたのに、やろうと思っていたことにほぼ手をつけられなかった週。
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