2025/4/13-4/19
4月13日(日)
7:30起床。くもり。寒い。疲れてないのに寝過ぎだろ。
一日、雨が降ったり止んだり。
夜は稽古。前回に続き本読み。
劇中の会社設定などについて、自分の経験もふまえつつ説明。
AppleTVで始まった「フレンズ&ネイバーズ」もなんか面白そう。とりあえず1話。
金持ちエリートが妻の不倫や解雇によって突然転落し……というサスペンスコメディらしいのだが、今のところコメディ強め。
人間関係の描き方も台詞も面白い。
4月14日(月)
5:00には目が覚め読書して二度寝して 7:30起床。晴れ。
午後は稽古。今日も本読み。脚本は時制が行ったり来たりする構成なのだが、劇中に流れる時間通りに場面を並べて読んでみる。
今回は、顔合わせを含めると4日を本読みに当てることができた。
なかなか有意義。
夜はまた22時頃に寝てしまう。
深夜に目覚めて「プロジェクト・インソムニア」(結城真一郎)読了。
4月15日(火)
8:15起床。晴れ。
昼は久しぶりの船橋屋で昨年出産されたTさんと天ぷら食べてお茶。
近況の共有など。
Paramount+で見ていたドラマ「ザ・エージェンシー」完走。
俳優と演出が良いのでずっと面白くは見たが、リアリティやムードにこだわり過ぎて、カタルシスには欠けたか。
リチャード・ギアは結局見せ場が無いままで終わった。
Season2に期待。
4月16日(水)
6:00起床。快晴。
午前は作業、午後は歯医者。
夜は稽古。今日から立って動きをつけていく。
舞台の基本的な使い方、何をどこに置くか、ミザンスや動線などを、俺一人で指示するのではなく、ゼロベースで相談しながら進められるのが有り難い。
序盤の流れを一旦決めて、動画を撮って貰う。
終わって、団体メンバーで中華を食べつつミーティング。
それぞれ思っていたことを、ある程度腹を割って話す。
自分の態度や発言の仕方が良くなかった面にも気づき反省。
とは言え、このタイミングでお互いのモヤモヤをぶつけられたのは良かったと思う。
ビール二杯で酔い、帰宅後すぐに寝る。
4月17日(木)
4:00頃に目が覚め脚本のことを考え、二度寝して9:30起床。快晴。
昼間は眠くなる。
夜は稽古。昨日に続き、動きを考えていく。
4月18日(金)
6:30起床。曇り。晴れ&25℃予報。
もはや暑い。
今日も夜は稽古。一通り動きをつけてみるがまだまだこれから。
俳優の台詞覚えが速い、というか「とにかく台詞を入れよう」という意識が高い。
当然と言えば当然なのだが、「台詞を完璧に入れて時間通りに現場に来る」のが良い俳優の条件かと思っている。
4月19日(土)
6:45起床。晴れ。28℃予報。昼は普通に半袖。
一番いい季節だな。
一日4時間の稽古が続くだけでも体にうっすらと疲労が蓄積している。
先月ワイヤレスキーボードが壊れ、代わりに新製品を買ったのだが、キータッチの反応がいまいちだった。
キーボードは毎日長時間使うものなので少しでもエラーが出るとかなりのストレス。
というわけで、壊れたのと同じ旧型のものをメルカリで購入。それが今日届いた。
やはり使いやすい。しかも新品だと10,000円はするところ、1,790円。
最初からメルカリを見れば良かったな。
資料で借りていた「回避性愛着障害 絆が希薄な人たち」(岡田尊司)読了。
2013年の本だが、愛着障害という切り口で説明されると納得してしまうことが多い。
だからこそ広まった言葉だろうし、必要ともされたのだろうが、信じすぎるのもどうかとは思う。
例えば、
その愛着も、いつでも育まれるというわけではない。生まれてから一歳半くらい、せいぜい二歳までが、愛着が成立する上でのタイムリミットである。それまでの間に、身を挺して世話をしてくれる特定の養育者がいてはじめて、本来の愛着が生まれるのである。
この時期に愛着が形成されなかった場合、子どもは、養育者との間に安定した愛着をもつことができないだけでなく、誰との間にも安定した愛着を育むことが困難となる。
こういう説明、その通りと思いつつ、「人は自分では絶対に選択できない幼少期の扱われ方でその後の性格も人生も決まってしまう」となると、事実だとしてもあまりに理不尽ではないかとも思う。
安定した愛着のためには「安全基地」=共感的で肯定的な応答や居心地のよい関係が必要、というのもその通り、でも皆が安全基地を持てるなら誰も苦労しないよ、とも。
同じ2013年のベストセラー「嫌われる勇気」で紹介されていたアドラー心理学は、真逆のアプローチだった記憶。
最近では宇野常寛さんが、
と言っていて、僕の意見もこれに近い。
質の良い自己啓発本くらいにとらえると良いのかもしれないし、岡田尊司さんご自身の人生観や文章には惹かれる部分も多かった。
ではなぜ、ユング少年は、この二重の回避のワナから抜け出すことができたのか。それは、目先の快不快ではなく、人生というもっと大きな視点で自分の状況を振り返ることができたからだ。それは、自分のしていることが、自分の可能性を狭め、向き合いたくない場面から逃げているだけだということを悟るとともに、そうした生き方に対して自分からノーと叫び、人生を取り戻すために自分を変えようと決意することであった。
回避を乗り越えるためには、このプロセスが必要になる。つらい現実や不安に向き合うことの恐怖よりも、人生の可能性を失ってしまうことの恐怖の方が大きくなり、逃げていた現実や不安に立ち向かっていこうと、心のありようが百八十度転回するのである。
【中略】
時間の長短はあるが、回避のワナを克服する人は、必ずこうした心理的転回を経験する。「逃げていてもしょうがない」「どんなに不安でも、飛びこんでいくしかないんだ」ーーそう腹をくくるのである。すると、不思議なことに、それまで不安で、怖くて、とても近寄れないと思えた状況が、それほど大したことではないように思えてくる。そして、実際飛びこんでみると、その状況が、自分の不安がつくり出した幻にすぎないことがわかる。
私は自分が運命の岐路にいるような気がした。傷つくことを避けて、ひきこもりを続け、自分を受け入れてくれる人とだけの狭い世界に住み続けるか、勇気を振り絞って、失敗や傷つくことを恐れず、見知らぬ可能性に向かって開かれた世界に打って出るか。その新たな可能性の象徴が、後輩のその女性だった。
自分の人生から逃げない
逃げるのではなく、面倒事にも自分から飛びこんでいくという攻めの姿勢に転じることが、回避からの脱却において決定的な意味をもつ。そして、そこで起きることは、自分の責任を引き受け、自分の人生を自分の意思と決断で生きようとする覚悟をもつことである。それはひと言で言えば、主体性を取り戻すということでもある。
【中略】
不言実行などというが、実際には、口に出している方が行動も伴いやすい。わかってくれない人にまで敢えて言う必要はないが、少なくとも自分に対して決意が明確になっていなければ、何も変わりようがない。
合せて借りていた「生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害」(岡田尊司)も流し読み。
回避性の人は、比較的経済的に裕福な二代目が多いというのも、食うために働かねばならないというハングリー精神が弱いということも関係しているだろう。
【中略】
その意味で、回避性の特徴は、豊かになった現代的な産物だと言えるだろう。
→これとか、自分などは耳が痛い苦笑。
案外、他人は人のことになどかまっていないし、自分はこうしたいとはっきり意思をもった存在には一目をおいて、道をあけてくれるものだ。大事なのは、自分がこうすべきだではなく、自分はこうしたい、こうなりたいという自分の意思を明確にして、それを恥ずかしがらずに周りに伝え、勇気を出して行動を起こすことなのだ。どんな小さな一歩であれ、恐れに打ち勝って、自分の意思で行動を起こし始めた瞬間、その人は変わり始める。
【中略】
生ある限り、あなたには自分の人生を生きるチャンスがある。遅い早いではなく、あなたが決意したときが、チャンスなのだ。もう逃げるのを止め、自分の人生を生きてみようと思ったとき、あなたの人生は変わり始めている。
(この本は、伝記を一つ読んだだけで星新一さんを回避性パーソナリティ生涯と決めつけ遺族から批判されるなど、問題もあるらしい。)
夜はさよなら人生リモートミーティング。
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