2025/4/27-5/3

第82号
上野友之 2025.05.04
誰でも

4月27日(日)

9:00起床。晴れ。

台本のテキレジ作業など。

テキジレは演劇用語か。いつの間にか使っていた。

稽古などで、台詞の細かい修正をしていくこと。

なんの略?と調べたらフランス語で「text」と「régie」の組合せらしい。

「擬傷の鳥はつかまらない」(荻堂顕)読了。

前半は裏社会を舞台に過酷な現実とハードな暴力を描くハードボイルドだが、中盤以降はファンタジー世界が全面に押し出されてくる。第七回新潮ミステリー大賞受賞作だが、ミステリ感は薄い。

後半はやや観念的すぎるかと感じたし、下手すれば辻褄を無視した安易なファンタジー演劇みたいになりそうな設定を、文章力、描写力でねじ伏せていく。

前半のリアルなハードボイルドだけの作品も読んでみたいと思った。

主人公女性の、「他人に偽の身分を用意する」という仕事の設定も面白かった。

金で時間を早送りし、遊ぶことで焦りを紛らわせる日々を送った。
 もっとも、愚かだったから何もしなかったのではないし、怠惰だったわけでもない。純粋に、考え付かなかったのだ。未来とは、その言葉を知っている賢い人間たちが内輪で作っている代物でしかない。
「擬傷の鳥はつかまらない」(荻堂顕)

世界そのものを憎んだところで、私たちは何も変えられない。それゆえに、触れることができるものに憎しみを向ける。
【中略】
強さを求めて生きようとする限り、自分と地続きの弱さは蔑むしかない。
同上

4月28日(月)

7:30起床。くもり。変な夢を見続け途中で目覚ましに起こされた。

日中は突然の豪雨で、出かけようかと思っていたが家にいて良かった。

横溝正史「獄門島」読了。金田一ものの第二作で、シリーズ中でも日本ミステリ史においても傑作と名高い。オールタイムベストテンなどでも1位をとることが多いらしい。にも関わらず初読。

流石に面白かった。トリックそのものもそうだが、話の運び方、人物の登場のさせ方、怪しいムードの漂わせ方、当たり前だが娯楽作として非常に読みやすい。

横溝さんは病気や戦中戦後の疎開などで満足に探偵小説を書けない時期が長く、逆にその間にアイディアをため込み、クリスティーなど海外ミステリを読み込むことで準備万端状態だったらしい(Wiki情報)。

1947年に連載開始と、思った以上に戦後すぐの作品だったんだな。

復員兵の生死などが重要な要素になっていて、現在の視点だと「小説の設定」としてスッと読むだけだが、当時は多くの人にとって身近で切実なことを描いていたのだと思う。

4月29日(火祝)

7:00起床。なぜか中学時代の人が出てくる夢を見る。突然どうしたと思ったけど、昨日見ていた配信映像が高校時代の物語で、たぶんその影響。わかりやすい。

自分の中ではなかったことにしている中学時代のことを考えていたら、今やっている「高尾山へ」への新しい視座を思いついたかもしれない。

人生における記憶と時間の関係というものは全く不思議で掴みどころがない。

配信購入していた、『田中宗一郎×宇野維正 来阪トークイベント「戦時下のポップカルチャー最前線 2025年GW編」』見る。

ずっと考えていたプロット、構成のアイディアを思いついたかもしれず、ChatGPTに投げてみる。

相変わらず一瞬でこちらの思考を超えて整理し追加アイディアを出してくれる。

凄いなと思いつつそのスピードと量に気後れというか疲れてしまう自分もいる。

クリエイティブで使う時は、自信喪失時に「良いですね!」というリアクションを貰うこと、改善点を指摘して貰うこと、くらいに限定した方が良いのかもしれない。

夜は、新宿ピカデリーの無料クーポンの有効期限が今月までで、何か観ようと映画『異端者の家』鑑賞。

ヒュー・グラントが怖い悪役というのが売りのA24配給ホラー。

休日とはいえ結構混んでいた。

宗教二世?の若い女性が、勧誘のために訪れた屋敷でヒュー・グラントに閉じ込められる。

序盤はヒュー・グラントが二人に独自の宗教論争をしかけ続け、そのマンスプ自体が気持ち悪いけどなんか笑えてもしまうのがユニーク。スター・ウォーズいじりとかもしてくる。

しかし後半はかなりエグい展開。

撮影も演出も俳優も良かったし飽きずに観たが後味は良くなかった。

宗教、特にモルモン教の知識が無いので理解できてない部分もあると思う。

かるがも団地「逆光が聞こえる」を配信で鑑賞。

4月30日(水)

なかなか起きられず何度寝かして8:30起床。快晴。

午後は歯医者。詰物を入れて貰って終わりかと思ったらまだ続くらしい。本当かよ。

とはいえここは担当の女医さんも看護師さんたちも超丁寧でなんのストレスもないどころか、良い気分転換にすらなっている。

夜は稽古、冒頭1時間はさよなら人生メンバー4名で初めてのインタビュー取材を受ける。

ライター(インタビュアー)は旧知のOさん。

結成経緯、団体への思い、作品について、それぞれ言葉にすることで、ふわっと始まったこのプロジェクトに改めて枠組がついた気がする。

事前に脚本を読んで貰ったOさんからの好意的な感想も頂く。

このタイミングで取材の機会を頂けたのは良かった。

さよなら人生、思ったよりも色んな人が気にかけてくれているようで有り難い。

その後、稽古して、インタビューから立ち会ってくれた制作協力の野元さんも交え中華を食べつつミーティング。

2025年も三分の一が終了!

5月1日(木)

7:30起床。晴れ曇り。

本番まで三週間!

借りていた「責任と物語」(戸谷洋志)読了。

引き続き、自由意志と責任というテーマを考えたく。

やはり戸谷さんの文章は冷静で読みやすく、かつ思想の根底に良心のようなものが感じられる。

  「私」が良かれと思って開始した活動は、「悲惨」な結果へと至るかも知れない。
【中略】
しかし、一度活動が開始され、それが「悲惨」な結末に至ってしまったら、もはやそれを無かったことにすることはできない。アーレントはここに、人間の人生の物語が持つ「不可逆性」を洞察する。すなわちそれは、「人間が自分の行っていることを知らず、知ることもできなかったにもかかわらず、自分が行ってしまったことを元に戻すことができないということである」。
【中略】
活動は、それによって「私」がかけがえのない個人としてこの世界に姿を現すことができる営為であり、人間の自由が表現される場である。しかし他方、彼女はこうした活動を手放しで肯定することもしない。活動は、同時に人間にとって大きな困難を与え、その人生を苦しめるものでもありえる。それに対して彼女が提案するのは、このように扱いの難しい活動に対して、二つの「救済策」を講じることである。それが、「許し」と「約束」である。
「責任と物語」(戸谷洋志)

許しは、「私」の活動の影響が引き起こす連鎖を人為的に終結させる。そのように終結させられることによって、一つ一つの活動の帰結が、個々のエピソードとして限定される。それによって「私」はそのエピソードを自分の人生に組み込み、物語を再編成することができる。
 同時に約束は、「私」の未来を他者に対して誓うことで、不安定な自分の人生に対して一定の安定性を与えることができる。もちろんそれは未来を確定することではない。物語の概念は常に訂正可能性を前提にしている。また、約束することは、それに違反することが不可能であるときには意味を持たない。それでも、約束することによって、「私」は物語の訂正可能性に一定の指針を与えることができる。あるいは少なくとも、自分がどこに向かっているのかを見定めることができるようになる。
同上

「私」は自分の人生の作者になることはできない。それでも、その物語の主人公でい続けることはできる。その意味において、責任を引き受けることは、自分を肯定することでもある。
 そして、そのように人生の主人公であるあるために、私たちは他者から助けてもらわなければならない。「私」は自分だけの力で主人公であり続けることができない。責任を引き受けるということは、決して、この世界で孤立して生きていくということを意味しない。むしろそれは、互いを許し合い、約束を交わし合い、そしてその傷つきやすさを気遣い合う、他者との関係性を前提にしなければ、決して成立しない。
 それが、本書の結論である。
同上

ここだけだと、至極真っ当、ある意味当たり前の理想論、より良く生きるための良質な自己啓発メッセージのようでもあるが、戸谷さんの論考の果てに読むと、そうだよなと素直に納得できるのだった。

夜は稽古。今日は京王線沿いの初めての場所。

後半の流れを作っていく。

5月2日(金)

6:00起床。曇り。

予報通り昼からは大雨。時折雷。そして夜は気温も下がる。

稽古はオフ。家にいて良かった。

某プロットに向き合おうとパソコンに向かうも、なかなか集中できず、机の上を片付けたりすぐネットを見たり。

何も思いつかない……わけではなく、寧ろ核となるアイディアは明確になり、面白くできそうな可能性は充分にあるのだが、その可能性を色々思いつき過ぎて、逆にその取捨選択が途方もなく面倒に感じるという……。

公演の案内を知人に送り始める。

宣伝というのは気も引けるし、自分は不義理の癖にと思うと躊躇う。

が、個人的に観に来て欲しい人にだけ送っているし、近況報告や久しぶりのやりとりにも繋がると勝手に言い訳している。ご容赦ください。

5月3日(土)

6:00前には起きる。快晴。洗濯してから歩いて千駄ヶ谷のドトールへ。

今日もオフ。今日こそプロットを進めたい。

と思っていたが思考はあちらこちらに飛び。

千駄ヶ谷から新宿まで歩く。連休初日としては100点の気候。

紀伊國屋書店で資料と称してまた色々買って、帰宅してトマトアンチョビパスタを作って。

それでまだ昼過ぎ。

理想的な時間の使い方と思っていたが、結果プロットは固まらず。

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