2024/2/4-2/10
2月4日(日)
9:00起床。雨。
「格差の起源」読了。
作業や読書を続けるつもりが、先週分のこの日記を更新していたらもう夜。
Bさんといつもの串揚げ屋。
亡くなった犬の話、今後について、初めて人にした相談など。
二軒目は新宿三丁目のバーまで移動して飲む。
そろそろ何か形にしたい。
夜はだいぶ冷えていた。
ドラマ「Mr. & Mrs. スミス」を見る日々。
2月5日(月)
10:00起床。曇り。寒い。
久しぶりのOさんと打合せというか相談というか。
自分を思い出して貰うこと、声をかけて頂くことは有り難い。
kino cinéma 新宿にて『ダム・マネー ウォール街を狙え!』鑑賞。
株のことは全く知らぬに等しいが、面白かった。
コロナ禍のアメリカで、強欲なヘッジファンドに反旗を翻した個人投資家たち。
空売りの仕組みを知る。
異常な経済格差に対するSNSを通した一つの革命。これが実話か。
現実に起きた事件を、楽しめる為に必要な最低限の知識を整理してエンタメに仕上げる肝は、やはり脚本だと思う。
つい最近の出来事だが、実在の人物たちを痛烈に描写するし、最後には本人映像まで出てくる。
実写化のスピードも速いし、本人映像の権利処理?許諾?どうなってるんだろうとも思う。
これもアメリカのエンタメ界の凄みなのか。アメリカのエンタメ界凄いとばかり言ってるな。
図書館で借りていた「私たちはいつから「孤独」になったのか」、返却日だったので後半は流し読みしつつ読了。
何箇所かメモ。太字は自分。
本書では、欧米における孤独を歴史のレンズを通して眺めながら、近代の意味における孤独が、単語として、また認識できる経験として登場したのは一八〇〇年ごろであり、それは社交性や世俗主義という概念が社会や政治の枠組みにおいて重要となった直後であることについて論じていく。孤独は、精神科学や物理科学、経済構造、哲学、政治など、あらゆる分野に及ぶ「個人」というイデオロギーの台頭によって増大した。言語の進化に注目すれば、近代が始まってから孤独が徐々に増大していったことをうかがい知ることができる。その過程には、宗教の衰退から産業革命までざまざまな出来事が影響しており、新自由主義は「個人」というイデオロギーの有害な焼き直しにすぎない。
序論「近代の疫病」としての孤独
身寄りのない(ロンリー)女性も、文学において繰り返し登場する表現であり、そこには女性に求められた受動性が反映されている。その傾向がとりわけ顕著なのは、十八世紀以降の中流階級の女性たちで、その居場所はますます家庭内に限定されていった。近代文学では、独身(ローン)女性―だいたいが跳ねっ返りのオールドミスや寡婦である―が、公的領域と私的領域をせわしなく行き来して家父長制の秩序を脅かす、風変わりで破壊的な人物として描かれている。つまり、独り身の女性は脅威となりうるのだ。
コールリッジの著作をきっかけに、イギリス文学では「ソウルメイト」という言葉が(プラトンの時代と同様に)自己を完成させてくれる個人を意味する傾向が強まり、そこへロマンスというスリルが加わった。このように、友人としての交際や義務から個人の欲望を特徴とする性的な理想へと愛を再定義したことは、個人主義の追求の特徴であったように思われる。「ソウルメイト」という言葉は、とりわけ二十世紀初めのイギリスの出版物において人気が出始めた。最初は一九三〇年代後半に出現し、やがて一九六〇年代には着実に増加して、一九八〇年ごろに急増した。「ソウルメイト」という言葉が一九八〇年代以降から頻繁に使われるようになったのは、この言葉が「運命の人」を探すための個人広告で使われたり、メディアの議論に登場したりしたことと関係があるだろう。
(中略)
だがその起源は一九世紀に遡り、現世を超越したようでありながら肉体的でもある男女の結びつきを通して、自己の完全なる充足を目指す熱烈な願望が、ロマン主義によって愛や憧れや自然界と結びつけられたのである。『嵐が丘』でも『トワイライト』シリーズの第三作『エクリプス』でも、女性の主人公は「ソウルメイト」や大切な人を追い求め、その相手なしでは孤独になってしまう(ただし、その相手と一緒になれば、社会の「まとも」な人びとの仲間入りをすることはできない)という設定だ。どちらの作品にも、危険な性的欲望が存在し、野性的でありながら自然から切り離された、陰気で威圧的な男性の主人公が登場する。女性の主人公であるキャシーとベラは、どちらも社会の慣習や個人的な欲望と対立してしまう。彼女たちは、性的な充足感や心の満足を手に入れるか、物足りなくても社会に適合した生活を送るか、どちらかを選択するしかない。また、そうした選択は、人目に付くか付かないか、危険にさらされるか安全でいられるか、という問題にもかかわってくる。いずれの作品においても、激しいロマン主義的な理想こそが望ましく、戦う価値のある唯一の愛の形であるという考え方が内面化され、不滅のものとなっていることがわかる。
第3章 孤独と欠乏
夜は予報通りの雪。新宿区も結構な積雪。交通機関や道路もだいぶ止まっているらしい。
何年かに一度の東京の大雪だ。
札幌では当たり前の景色だったが、東京の雪の夜はいつも物語的。
そんな夜にU-NEXTで『ラヴソング』。1996年の香港映画。
大陸から香港に来た男女の十年にわたるラブストーリー。
いかにも自分好みの作品だが初見。なんで観てなかったんだろう。でも十代二十代で観てたら影響受けすぎたかもしれない。
基本は三角関係、というか恋人いるのに新天地で出会った女性も好きになってしまい、という男の二股を、都合よく綺麗に描いただけとも言えるが、だいたいの恋愛物語はそういうもの。
ただ後半、女性がヤクザの愛人となって以降は、つっこみどころもある展開が面白かった。
若かりしマギー・チャンの魅力が画面を制圧してる感じ。物をバクバク食べてる仕草まで素敵に見える人はなかなかいないのでは。
丁寧な演出とこだわりのカメラワーク、決める場面はバシッと決めるので、しっかりと魅了されてしまう。テレサ・テンの歌の使い方もズルい。
娼婦と恋仲になる胡散臭いイギリス人を演じたのが、カメラマンのクリストファー・ドイルと知り驚く。
こんな恋愛したことないのに自分の過去まで振り返ってしまうタイプのラブストーリー。
なんか悔しいけど雪の夜に一人で観たのもあり、感傷的な映画体験になった。こういう気分に浸るのも映画を観続けてる理由の一つなのでしょう。
2月6日(火)
寒いからか珍しく6:00に目覚める。
気温が低く、昨夜の雪は残ったまま。
Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下にて映画『ゴースト・トロピック』鑑賞。今回日本で初公開されたベルギーのバス・ドゥヴォス監督の一作。
終電を寝過ごしてしまった移民の女性が一晩かけて家に帰る。プロットはそれだけ。これまたいかにも自分が好きそうな映画だ。観る前は大好きな映画、ケリー・ライカートの『ウェンディ&ルーシー』を連想した。
ファーストカットから、小さいけれど特別な作品だとわかる佇まい。
想像以上に起伏が無く、人物や出来事を優しく見つめるように時間が過ぎていく。
好みとしては、もう少しメリハリがある方が良いとも感じたが、少しでもどこかいじると映画の大切な物が全て失われる気もする。
同時公開されている『Here』も続けて観ようかと思ったけど、映画ばかり観ている場合ではないとも思い退館。
ケリー・ライカートと似た文脈で紹介されそうな監督ではあるが、当たり前だけどそれぞれ違う。
HMV&BOOKS SHIBUYAにてマックス・ウェーバー『仕事としての学問 仕事としての政治』と、芥川賞受賞作・九段理江 「東京都同情塔」購入。ウェーバーはいつか読まねばと思ってから二十年くらい経ってしまったけど読もう。
ドトールでやることやりたいことを整理。
夜はU-NEXTで映画『愛の狩人』鑑賞。1971年の映画。結局映画ばかり観ている。
大学の親友の男二人が、女性や性愛の遍歴について語っていく。けっこう下世話だし赤裸々でヌードも出てくるが、公開当時はどれくらいのインパクトだったのか。マイク・ニコルズ監督は、後年『クローサー』も撮るし、人物たちがやたらセックスについて語り合い罵り合う、下品すれすれの話が好きだったんだな。
映画として面白いかより何より、当時30代の主演ジャック・ニコルソンを堪能。
大学生から40代までを描くので、珍しく大学生っぽい服も着ていて、それでも大学生には全く見えないのも面白かった。
あの強烈な個性や色気はずっと変わらない。この時点で頭髪が薄くなっていたが充分に魅力的。
ジャック・ニコルソン、もう完全引退なのかな。こういうオーラのある俳優はもうなかなかいないよな。スケジュール面で実現しなかったらしいウディ・アレンとのタッグ、観たかったなあ。
2月7日(水)
7:30起床。晴れ。
再び神保町シアターへ。先月の小津特集に続いて今月は「女優魂」という特集。その中の溝口健二作品をスクリーンで観るのが目当て。
サービスデーは言え満席。今のところ小津と溝口しか観てないけど、いつも混んでる。高齢者が中心か。古い名作上映の需要を感じる。
『雪夫人絵図』。1950年。流れるようなカメラワーク。
やたらと艶めかしい演出と木暮実千代の魅力。
小津に続き、溝口と成瀬もできるだけ全部観たいと思ってる。できればスクリーンで。
新宿に移動して武蔵野館で映画『熱のあとに』鑑賞。カット一つ一つにこだわりがあり、俳優演出も素晴らしかったが、勝手に90分くらいを想定してたせいか、後半は長くも感じた。愛についても語り過ぎではとも思ったが、こういうテーマに真正面から向き合った邦画は最近では珍しいかも。
夜はU-NEXTで映画『ソウルメイト/七月と安生』鑑賞。2016年の中国・香港合作映画。
Twitterでたまたま見つけて、つまらなかったら途中で止めようくらいの気持ちで観たが、とても良かった。女性の友情の映画にまた一つ傑作が。自分は、何年にも亘る関係、を描いたものに本当に弱い。「ラヴソング」に続いて、音楽の使い方も好きだった。
10代から親友の女性二人が、環境の違いや男性との三角関係により離れたり、お互いに積み重なった複雑な気持ちをぶつけ合ったり。
片方の女性がその関係をWEB小説にして配信していく、という設定なのだが、このギミックが徐々に効いていく。やり過ぎないけどしっかり驚かせる脚本の捌き方が見事だった。Wikiで見ると脚本クレジットは5人。分業体制なのか執筆が難航したのか不明だが、結果は素晴らしい。
中国と香港の合作、メインキャストの一人は台湾出身と、製作面での政治的な緊張を想像してしまうが実際はどうなのか。
2月8日(木)
8:00起床。晴れ。
荻窪経由で吉祥寺へ。それぞれのブックオフで資料本を探す。
吉祥寺オデヲンで『ゴジラ-1.0』鑑賞。誕生月割引を使用。
面白かったし、撮影規模もVFXも日本でここまで出来るのかというクオリティで、オスカーノミネートも納得。海でのゴジラとのバトル(というか絶望的にやられる)場面は普通に興奮した。
評判が良くなかった?ドラマパートの演出もそこまで悪いとは思わなかった。
山崎監督に勝手に抱いていたイメージに反して、戦争や特攻や日本主導部への批判的なメッセージも込められている。
ラストの展開も結構感動してしまった。
ただ、ネタバレですが、
浜辺美波さんの役の扱いや描写は疑問。
銀座破壊の時に、男性をゴジラの熱線から助ける為に壁の中に押しつけ、自分は爆風に吹き飛ばされて死ぬのだが、自分も一緒に壁に隠れれば助かるのでは、と思ってしまった。
ラストで実は生きていた、とするのも、ゴジラの熱線が原爆を表現しているなら、無理があるのでは。それは黒い雨に打たれた主人公がその後も問題なく生き続ける描写も同じ。
描き辛いのはわかるが、放射線障害の恐怖をスルーするのは気になってしまう。
いつものサンマルクカフェで作業しようと思ったら、なんと閉店していて、思いの外ショックを受けた。上京してから20年以上通い続けた店。当時は自転車で行ける距離だった。
旗揚げ公演の脚本のクライマックスを書けたのもここ。それをジンクスとして、引っ越してからも息詰まるとわざわざ吉祥寺まで行ってここで脚本を考えた。結局打開できないまま帰ることがほとんどだったが。
なんか勝手に人生の節目を感じてしまうな。今までありがとうございました。
「安倍晋三回顧録」読み始めた。面白い、と言って良いのかわからないがかなり面白い。
BEAUTY & YOUTHで新しいトートバッグを買う。わりと一目惚れの奴で嬉しい。
今まで使ってたトートも良かったが小さいポケット一つしか無く、収納には苦労してた。
その点も改善され使い勝手もグッと良くなった。
夜は『違う惑星の変な恋人』鑑賞。時間的に観ようか帰ろうか迷ったのだが、結果観て良かった。
ひたすら会話だけで魅せていく恋愛群像劇。台詞も構成も脚本がお見事。
ずっと淡々と話し続ける演出も、それに応えて実に魅力的な俳優陣も素敵。
ドラマ「Mr. & Mrs. スミス」Season1完走。
ネタバレですが最終話、
夫婦で殺し合いをした後で、本来は敵に使う自白剤を自分たちに打って、本音を伝え合う展開が上手すぎてやられた。
「アトランタ」チームの独特のオフビートな演出でアクションを撮るのも面白かったな。
2月9日(金)
8:00起床。晴れ。
資料として図書館で借りていた「人質とともに生きて―イラク大使の湾岸危機体験記」読了。
湾岸戦争前に、イラクで起きた日本人人質事件。現地で対応した日本大使による手記。知らないことばかりだ。
2月10日(土)
8:30起床。晴れ。
誕生日。42歳になってしまった。誕生日の朝は、寝ぼけて危うくフィッシング詐欺に引っかかりそうになって始まった。
高騰する光熱費への支援として50,000円支給します、というメールで、誘導される偽のマイナポータルサイトが本物そっくりな奴。
午後はNさんに誘って貰ってバルト9で映画『ゴールデンカムイ』鑑賞。
『ゴジラ-1.0』に続いて撮影やアクションやVFXのクオリティに驚く。
その後、S君も合流してプレゼントを頂きピザ屋で飲む。
ご馳走様でした。
紀伊國屋書店で「潤一郎訳 源氏物語 巻一」、「時代の一面」、それから投資についての本を購入。
夜は読書しようと思ったが、結構酔っていたのかウトウトしつつ誕生日は終了。
改めて今年も?今年は?頑張ろう。
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