2024/1/7-1/13
1月7日(日)
9:30起床。晴れ。
8時には目覚めてるのに昨日の移動の変な疲れが残ってるのか布団でだらだら。
家で原稿書こうとするもTwitter見るなどしてあっという間に夕方。
やはり家は駄目だな。日中を無駄にしてしまった。
結局夜までかかって送信。
日テレの特番ドラマ「侵入者たちの晩餐」をNetflixで鑑賞。
脚本のバカリズムさんはじめ「ブラッシュアップライフ」のスタッフチーム。
演出(とても良い)の仕事の一つの肝は、上手い俳優の演技のトーンとテンションを合わせることに尽きるんだなと再認識。
そして白石麻衣さん、正直これまでお芝居のイメージ無かったが、恐らくキャリアでもベストのキャスティング且つ見事にそれに応えていた。
久しぶりに『運命じゃない人』パターンの脚本を見たが、つくづく内田けんじ監督の発明の偉大さを思う。内田さん今何してるのだろう。調べたら現在まだ51歳なんだな。
1月8日(月祝)
9:00起床。晴れ。
配信で画餅「サムバディ」鑑賞。昨年の混頓でご一緒した神谷さんのソロユニット。
神谷さんが関わるものって面白いのが大前提になってるのが凄いが本当に面白かった。
これ言うと神谷さんに嫌がられそうだけどセンスオブセンスの人。
鶴見俊輔「限界芸術論」(文庫)読了。
タイトルになっている限界芸術論も面白かったし、全然知らなかった明治以降の大衆?文化人についての論考も一つ一つ読みごたえがあった。特に黒岩涙香、円朝、大佛次郎(の「鞍馬天狗」)など。
鶴見さんの本をしっかり読んだのはたぶん初めてだが、もっと早くに読めば良かったと思う。
Netflixでドラマ「ブラザーズ・サン」鑑賞開始。
1月9日(火)
9:30起床。晴れ。
図書館に行ったりモスで作業したり。
午後は家で某文章の冒頭を書く。
夜はユーロスペースでカウリスマキの復帰作『枯れ葉』鑑賞。
カウリスマキを映画館で観るのはかなり久しぶり(もしかして初めて?)だが、衣装と美術のパステル基調の色彩の素敵さに驚く。この作風でお洒落ってずるいよなあ。
続けて『街のあかり』鑑賞。えー!そこで終わるの!というエンディング。カウリスマキによる「敗者三部作」の三本目だったらしい。まさに敗者の話。でも謎の希望。
小津安二郎のフォロワーは世界に無数にいると思うが、俺くらいの映画教養でもハッキリと影響を感じられるのはまずはカウリスマキだと思う。
帰宅してアマプラで映画『アルマゲドン・タイム ある日々の肖像』鑑賞。丁寧な作品だし、アメリカにおける人種差別に真摯に向き合っていると思うが、個人的にはあまりハマらず。アン・ハサウェイ(が目当てだったが)もっと見たかった。
1月10日(水)
9:00起床。晴れ。
某メディア作品の電話打合せ、某映画の脚本打合せなど。
アマプラでドラマ「ファーゴ」のSeason5を見始める。とにかくTLで絶賛されており。
このドラマ版の「ファーゴ」、以前から評判は聴きつつ、もう追いつけないなと思っていたところ、ストーリーは各シーズンで独立しているから今からでも大丈夫というおすすめツイートを見て。情報に感謝。
1月11日(木)
8:00起床。くもり。
最近、深夜に一度目覚めることが多い気がする。
父とZOOMのテストも兼ねてリモートトーク。
原稿を直して送信。
寒い日だった。
図書館で借りた大塚英志著「感情化する社会」読む。まだ途中だが非常に面白い。
以下メモで抜き書き。
このような天皇像に対して「国民」もまた自分たちの「感情」を汲みとることのみを「天皇」に求めた。それは自らの「合意」を天皇に表象せしめることに怠惰であったことと同義である。このように、現行天皇の真摯さと国民の怠惰の上に象徴天皇制は成立しているとさえ言える。
現行憲法をただ感情的に否定するだけで、同様にただ感情的に守るべきと主張するだけで、憲法を行動規範化する手続きを怠ってきたのが戦後史であり、それを内在的な倫理や規範としていく現行天皇のような愚直さを彼以外の人々は大抵は試みなかった。現行の日本社会の多くの問題は憲法や民主主義の問題ではなく、それを実行できなかった問題であることは繰り返し述べてきたが、この国の現在はその怠惰がもたらした当然の結末であり、今後、誰がどう憲法を書き直そうと、この怠惰が繰り返される限り、憲法は「機能」しない。
web上で「拡散」や「炎上」、あるいは「リベンジポルノ」や個人情報の暴露などが習慣化するのは、「自己表出すべきもの」がないままにそのためのツールと「抑圧」だけがあるからである。語るべきことがないのに語らなくてはいけないという抑圧化された欲望だけがある。
この国でいまあることばは「勝者のことば」と「敗者のことば」に区分され、私たちは「敗者のことば」による告発に耳を塞いでいる。沖縄や慰安婦や在日や被差別部落や障害者に対して「敗者」という形容をすることに不適切さはあることを承知で、それらの「声」をあえて「敗者の声」と呼ぶ。「弱者」というものを「敗者」と見なす暗黙の了解がいまあるのは、新自由主義が結局は社会ダーウィニズムに基づくからで、弱者とは「生存競争」の「敗者」と見なされている。「自己責任」論が「弱者」に向けられた瞬間、「弱者」はたちまち「敗者」となる。どちらの側の声に耳を傾けているかで「勝者」と「敗者」に人は区分されてしまい、弱者の声を聞こうとすればそれはそのまま「敗者」に分類される、と言ってよい。こういった「弱者の声の文学」が戦後文学史のなかでどれほど多様で豊かであったかはここで示す時間はないが、いま、その声を聞こうとすれば「サヨク」や「売国奴」と罵られるのが常だから、そう罵倒される文学者の書物をあなたが勇気を出して手にとればいいだけの話である。
しかし、いまやたいていの人があらゆる意味で勝者の文学に手を出すことで強者の列に加わろうとする。ベストセラーや「文学賞」もそういった「価値」の証明にほかならない。
こういった「勝者のことば」に人々が帰依しようとする一番新しい例が、ヒロシマにおけるオバマのスピーチに対するこの国の人々の反応である。
1月12日(金)
10:00起床。晴れ。今日も8時には一度目覚めてたのにもったいない。
午前中はいつものバーガーキングで、「感情化する社会」に刺激されて某文章用のメモを書き殴る。
午後から神保町。
神保町シアター(たぶん初めて)の特集「フィルムでよみがえる――白と黒の小津安二郎」。また小津かという感じだが、小津のトーキー全部鑑賞が目標。
神保町、家から電車で一本なのだが、用事が無いとなかなか行かない。
が久しぶりに行くとなんか良い街だと感じる。
まずはさぼうるで生姜焼き定食を食べる。
一本目は『一人息子』。1936年製作。
信州でシングルマザーとして苦労して育てた一人息子は東京に出て行った。
母が久しぶりに会いに行くと、その息子は結婚して子供も出来ていた(そういう連絡してないのに驚いた、電話などがまだ無い時代とは言え)。
しかし立派になったかと思った息子は、実際には夜学の教師(当時は自慢できる職業ではなかったらしい)をしながら燻ぶっていた。
弱音を吐く息子と嗜める母。の台詞は妙に普遍性があった。
息子「おっかさんやっぱりがっかりしてるんでしょ。ねえ。でも僕はやれるだけのことはやったんですよ。おっかさんに苦労かけてることが随分僕の励みになったんです。でも、東京じゃ夜学の先生になるのさえようやくのことだったんですよ。そりゃあ僕だってこのまま夜学の先生で満足してるわけじゃないですけど。これから先、でも、何になれるか全然見当がつかないんですよ」
母「けどお前まだ若いんだもん。そう諦めてしまうことねえじゃねえか」
息子「いや諦めちゃいませんよ。やれるだけのことはやったんです。でもこの人の多い東京じゃいくら焦ったってしょうがないんですよ」
母「そうしょうがねえって決めちゃうことはねえだよ。私だってこの歳になるまで、いっぺんだってしょうがねえって諦めたことなんかねえだよ。女の手一つで、お前を東京の学校にやろうなんて、たいがいのことじゃなかったんだし。それをお前がそんな気でいてくれたんじゃ」
息子「そりゃおっかさんから見りゃこんなことで不甲斐ない奴だとお思いでしょうけど」
~
母「お前、そう東京東京って言うけんど、東京で出世してる人だってうんといるじゃねえしか」
息子「そりゃ中にはいますよ」
母「いるじゃねえしか。お前だって出世したいばっかしに、東京に出てきたんじゃねえしか」
息子「そりゃそうですよ。けどそう思うようにいかないのが」
母「思うようにいかずか。その性根がいけねえだし。母やんにしてみりゃ、そうあっさり諦めて貰いたくねえだよ。かあやんがこの歳になるまで働いてきたのも、お前の出世が楽しみだったからだし」
二本目は『長屋紳士録』。1947年製作。戦後二年目、小津の復帰作。
さすがにまだ戦災の後というか、ロケで映る街全体が燻ぶっているような印象。この二年後、1949年製作の『晩春』で映る街のスッキリと洗練された空気とは明らかに違う。
上野の戦災孤児の姿も生々しい。
三本目は『お茶漬の味』。1952年製作。
元気なマダムたちとその夫の関係性を巡るコメディ、なのだが序盤から妙に不穏でそれが面白かった。
鶴田浩二も出演していて、小津映画にも出てたんだと意外。
珍しくたまにカメラ移動があり、主に室内で対象に寄っていく、それだけなのだが、珍しいだけにその効果も含め印象に残る。
合間でキッチン南海にも行きたかったのだが、ずっと行列で断念。人気だなあ。
ラーメン二郎はそれより長い行列が途切れていなかった。
大塚英志さんの本が他にも読みたくて、三省堂で「シン・モノガタリ・ショウヒ・ロン」、東京堂書店で「まんが原作・原論」購入。神保町は今でも書店の街と実感。
1月13日(土)
8:00起床。晴れ。
午前中は家で作業し、昼から今年初の美容院。
帰宅して配信で20歳の国「長い正月」鑑賞。大好評も納得。
ドラマ「ファーゴ」Season5、面白くて毎日見て9話まで追いついた。これで最終話はリアルタイムで楽しめる。
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